1996年の我が研究室、俗称 “キネ研" には先生2 人・大学院生1人・研究生3人がいて、さらに例年通りの学部ゼミ生20余人がひしめいていた。
… 教員は授業と会議にあたふたし、院生は自分のことで精一杯、研究生はややもすると目標を見失いがち、学部生は指示待ちの日々 … 。
「大学とは何なのか?」と反問せざるを得なかった。誰からともなく「とにかく勉強しよう!」の声が挙がったのは必然だった。始めたときには確かにそれだけだった。その現れが「毎週開催!」である。時に悔やむことがあるとすればそのことだけである。
しばらくしてから判ったことなのだが、私たちが求めていたものは
‘知識の吸収'ではなく、「私はこれに興味がある」「これが面白い、と私は思う」という自分の声を挙げることだった。これが判りかけてからは討論が白熱したり、重苦しい沈黙が起こることもあり、いわば感情丸出しのひとときになった。終わった後のさわやかさと充実感はスポーツの後の心地よさに似ていた。
これは、ずうっと今も続いている。
初めの頃は、どのプレゼンテーター(この会では、お洒落にそう呼んでいるのだが)も緊張したものだった。その緊張の何割かは「それで、あなた、なにが面白いの?」「なぜ面白いの?」と言われることに対してだった。その質問に、もっともらしい理由を誰もが用意したものだった。でも、そんな もっともらしさ"
は要らないことが今では解ってきた。“もっともらしさ’'は既知の知見からの論理なのだと思う。「面白い」と感じる理由に客観性を用意できたとしたら、面白さは半減しているものだ。
これからも、この会は続きそうな気がしている。
チャップリンの映画に「人は目標と少しのお金と勇気があれば生きていける。」とあった。この会に準えれば、各自が持っている‘いつかは自分流の論をなしてみたい’が目標になろう。‘少しのお金’
は、今私たちが持っている知識・技術に当てはまる。では‘勇気’とは? この会のそれは「私はこれに興味がある」と言い切る心意気なのではあるまいか、WSBはそれを試す力を持っていると密かに考えている。
最後になりましたが、参加された方々の氏名を記してお礼とさせていただきます。
この小冊子が、今までの互いの健闘をたたえ、今後の励みのよすがとなることを願っております。
1999年4月26日
加藤達郎